不安と怖さでいっぱい
旦那に病院に連れていかれ、実母も駆けつけ、先生は「やっぱり入院しようか」と。
看護師さんに連れられて向かった先は「閉鎖病棟」。
初めての閉鎖病棟だけれど、それどころではない精神状態の私は
「なんで嫌って言ってるのに、入院させるの?」
「なんで話聞いてくれないの?もう私のこと好きじゃないの?」
と旦那に問いかけます。
もちろんエレベーターも鍵付きです。
扉前で旦那と母に励まされ、いざ鍵の内側の世界へ。
看護師さんたちは「産後だもの、ゆっくり休もう」と、とても優しく接してくれました。
部屋に行く前に、説明と荷物検査を受けました。
閉鎖病棟だと、荷物のなかに危険なものがないかチェックがあるんですね。
自殺する一歩手間のわたしは、紐類(充電器とか)、カミソリ、電動シェーバーはすべて預かりでした。
スマホは持ち込みオッケーで、充電のたびにナースステーションでお願いすることになりました。
ナースステーションも鍵付きなので、そのたびに窓をノックです。
部屋は本当に必要最低限。2人部屋でした。
テレビもなく、壁についた傷に物々しさすら感じます。
永遠と廊下を歩いている人に、大きな声で叫ぶおじいちゃん。(のちに認知症だと知りました)
ほとんど涙が出なかったのに、不安と怖さで涙が滲みました。
「帰らせてほしい」
入院した日もその次の日も、先生や看護師さん、または旦那に電話して、「帰らせて」と訴えました。
どうにかしてここから出たいのに、当たり前ですが、誰も退院なんてさせてくれません。
先生からは「病気のせいで焦りがあるんだ」と。
救ってくれた人たちと地獄の毎日
この閉鎖病棟にまさかの知っている方がいたのです。
年上の可愛らしい方なのですが、ご飯も一緒にと誘っていただいたり。
わからないことや看護師さんのことを教えてくれたり。
「この病気は焦っちゃいけないよ」と何度も教えてもらいました。
この頃は睡眠障害が強く、どうやっても1、2時間おきに悪夢で泣きながら起きてしまうのです。
朝の3時頃から眠れなかったり、焦燥感もあってか時間がたつのがものすごく長く感じていました。
夜中や朝方、ホールに行くと必ず他の患者さんもいます。
知り合った方と「私ももう寝れなくて」と会話するのが救いでした。
最初の数週間は二度と経験したくないくらいの毎日でした。
悪夢が薬の副作用なのかを確かめるために、先生と相談して一度薬を変えたのですが、これが凶と出ました。
焦燥感や希死念慮が強くなってしまい、どうにもならないのです。
そわそわして、ベッドにいることもできません。
看護師さんに「先生来るまでベッドで休もう」と部屋に連れていってもらっても、そこで寝ていることすらできないのです。
「先生呼んでください」「たすけて」と言うことしかできません。
ここまでくると「死」が救いに思えてきます。
死んだら解放されると思ってしまうのです。
閉鎖病棟にいるのに、命を絶とうとします。
どう頑張っても、窓は空かない。紐もなければ、ひっかける場所もない。
必ず見回りもあります。
意外と冷静な思考もあって、「もし見つかったら、保護室(カメラ付きの部屋)で拘束されるかも」と考えていました。
楽になりたいのに、生きなくてはいけない。
その現実がとてつもなく辛かったです。
その日はどうにもならずに、先生が駆けつけてくれました。
先生が鎮静剤を打つ判断をしてくれて、看護師さんがすぐに注射をもってきてくれました。
これで楽になれるとほっとしたのを覚えています。
鎮静剤のおかげで、ベッドに横たわることができました。
というか、もう意識も目もうつろです。
起きてるのか寝てるのかよく分かりません。
そんな自分が情けなくて、終わりが見えなくて。
この日の夜に、薬を戻して、量を増やしたことで少しずつ改善していったのですが、この時期は本当に生き地獄でした。